山深い過疎地にて私の好きな折衷建築に出逢いました。

この様な折衷建築は、日本が西洋の国々と渡り合う為の象徴として折衷様式の学校建築同様、文明開化後、主に公共建築にて積極的に全国へと広がって行きました。

この様な折衷建築は、単なる西洋のコピーでは無く、当時の宮大工が社寺建築等で培ってきた技術やセンスを生かしつつ、西洋の優れた部分を謙虚に学び融合させ、過去にない様式を生み出したと言えます。

おそらく、築100年近くは経た建物ですが、この様な折衷建築は、輸入住宅以上に日本人の感性に響くものがあります。ジブリの映画にもこの手の折衷建築が多数描かれていますが、『日本人の感性を刺激し、感情を揺さぶる』不思議な力があるとジブリも充分、解っているのでしょう。

玄関庇部分のブラケットの手の込み様は、職人達の粋を感じます。

この郵便局は正しく街のシンボルであり、この様な建物こそが本当の街の財産だと私は思います。この場所を離れて都会へ行った人々が里帰りした際、この郵便局が目に入った瞬間、我がふるさとに帰って来たと強く感じる瞬間ではなかろうかと私は感じます。

 

オレンジ色の屋根の建物は、弊社が10年前に豊橋で施工した折衷建築です。

DSC_0899

DSC_0901

DSC_0903