安城建築

社長BLOG 2026.04.27

『坂の上の雲』(続)

一昨年坂の上の雲の再放送を見たのを切っ掛けに私が師匠(勝手に思っている)S先生と共に日露戦争の大激戦地である旅順203高地を訪れ、その後、四国松山の【坂の上の雲ミュージアム】、大阪の【司馬遼太郎記念館】を訪れました。そしてついに先週S先生からのお誘いによりお友達のT先生(司馬遼太郎の主治医)だった方と三人で食事をさせて頂き、司馬遼太郎とのエピソード話を伺う貴重な機会を頂きました。

司馬遼太郎記念館に行かれた事のある方は吹き抜けの床から天井までの巨大な本棚の膨大な書籍に圧倒されたかと思われます。長編小説を書く前にそれに関する古本をトラック1台分購入され、神田の古本屋街から関連の書籍が消えたとうのは司馬ファンの中では有名な話ですが、私がずっと気になっていたのはその膨大な書籍の中の必要とする重要な部分を誰がどうやって確認していたという点でした。

T先生曰く、司馬遼太郎は秘書や弟子はひとりも居なく、全て独りで作業していたそうです。(当然ですがその当時、書籍をスキャンしてAIで分析なんて技術はありません)

ページを開いた瞬時に重要な部分にパッと目に飛び込んで来ると言われたそうです(笑)おそらくフォトリーディング的な能力をお持ちだったのではと推測します。そうでなければ到底時間が足りません。

又、想像力の天才だとT先生は仰ってました。

書籍から膨大な情報を取り入れた後、その歴史が動いた場所に立つとその次代の風景が見えると言われたそうです。(ブラタモリのタモリにも似てます・・・)【街道をいく】の最終となった【濃尾参州記】もT先生が司馬遼太郎と共に旅のお供をされたそうです。

食事の会話は司馬遼太郎の話から生物学の権威、福岡伸一先生の動的平衡、細胞の利他性の話等、多種多様な話しと広がりあっと言う間に3時間半が過ぎていました。

このお二人に共通するのは、誰もが認める圧倒的な地位にも関わらず、偉ぶらず実に物腰が柔らかく謙虚。数々の試練を乗り越えながら、還暦をを優に超されても少年の様な好奇心旺盛であり続けていること。本当に格好いい大人。まさにこのお二人がそうでした。

帰りの道中、S先生をお送りした後、T先生がポロリと大学病院時代の小児科医だった頃のお話をされました。小児科のターミナルケアに携わり、多くの幼い命を看取り本当に辛い日々を過ごし、子供が逝った時は必ず亡きお父さんの御魂を呼び寄せ、幼き子が寂しく無い様、一緒に連れて行ってもらう様にお願いしていたそうです。以前、聖路加国際病院の院長の日野原先生も宗教観を持たない子供の死程壮絶なものは無いと言うお話しを聞いた記憶がありましたので、T先生の同様の耐え難い心情だったと察します。その大役を成し得た方のみに感じられる深みのある先生でした。