トラックにて建築資材を引取りがてら舞鶴に立寄って来ました。私の叔祖父がシベリアに抑留されていたこと、映画『ラーゲリより愛を込めて』を観て、いつかこの引揚記念館に行かなければと思っておりました。

下記の地図は、第二次世界大戦敗戦後、大陸の残留兵たちが、ダモイ(ロシア語で帰国という意味)と騙され列車に乗せられ旧ソ連の強制労働の地に送られた場所を示すものです。モスクワより遠い収容所もあり、敗戦後から日ソ共同宣言が締結されるまでの約11年もの間、想像を絶する飢えと寒さによる苦しみの中、大きな絶望感と微かな望みを抱き続けながら、日々死と隣合わせの日々をどんな思いで過ごしていたかと思うと胸が締め付けられます。

もし、私が極寒の西の最果ての地に連れてかれたら・・・とっとと死んだ方がどんなに楽ではないかと考えてしまうことでしょう。

亡き叔祖父が生前、常に沈着冷静で物静かだったのは、元々からの性格もあるかもしれませんが、壮絶な死生観の経験によるものからではないかと感じました。

この桟橋は引揚の際に使われた場所です。この場所に『岸壁の母』のモデルとなった端野いせさんが息子を待ち続けた場所でもあります。(結局は戦死されていました)又、ラーゲリより愛を込めての映画に登場した犬のクロも実話であり、抑留者と共にこの桟橋から日本の地を踏みました。