書棚の整理中、さだまさしの詩づくりについての想いが綴られているページに目が止まりました。下記がそうです。
日常生活の中でふと忘れそうになった大切な思い出、或いはささやかな悩み苦しみ、希望や夢。また感動した出来事をそっとメロディーに乗せて新種の花にする。きれい事だけで済むような表面上の美しさだけでは駄目だし、赤裸々にどんなに汚いことでも、全てを述べれば良いような簡単なことでもいけない。歌は凛と咲いていなければならない。それを気に入った誰かが自分の庭に植える。或いは風媒花のように勝手に誰かの所へ飛んで根付くこともある。そして僕の花はその人の心の庭先で違う花に変わる。歌、とはそういうものだと思っている。
百人いれば百人の色があるように、その花は百通りの形に変わるだろう。つまり僕の物語はその瞬間にその人の物語になる。僕は自分の心を耕し、自分の音楽の種を蒔き、やがて時々咲く、歌という「こころ」の花を誰かの「こころ」に届ける仕事をしているのだ。そんな風に生きられたらいい、と思う。
そして幸せだ、と思うのはそんな誰かの庭先に咲く僕の花に出会うときだろう。どんな苦労さえも報われる気がするだろう。
心のある花を歌いたい、と思う。
さだまさしの世界「ストーリーズ」より引用
これを読んで以前、弊社デザイナーの手塚さんが言われたことを想い出しました。
全国から視察が絶えなかった海外の街並みを再現した横浜のマークスプリングスの設計に携わって一番思い出深かったことは何ですか?という私の質問に
(手塚氏)『駆け落ち同然で一緒になり、このマークに越して来た夫婦の為に、マークに暮らす人々が街の広場で披露宴パーティーをしてくれたことです』
(手塚氏)『私の仕事は、街や家を設計することですが、私の手を離れてからのことがとても気になります』と。
さだまさしも手塚氏も想いの中心に『愛』を感じます。