弊社の創業者浅井正一の弟、故善七おじさんがシベリアに抑留されていたと身内から聞いたことがありました。今思えば、何故体験談を聴かなかったのだろうと思う。善七おじさん自身から抑留の体験談を話すことは一度もありませんでしたが、この映画を観てその理由が解りました。多くの仲間達が次々と亡くなって行き、抑留が何年も続けば、もう絶望しか無く、死んだ方がどんなに楽だったことだろう。
フランクルの『夜と霧』も同様、生き残った人に共通するのは、信念に近い希望を持ち続けた人。その希望とは自分事では無く、自分が亡くなった後、残された大切な人が感じる悲しみや苦悩、苦労を絶対にさせる訳にはいかないという信念ではないかと思う。
余談ですが、小学生の頃、母親から『勉強をするのは誰の為でも無く自分の為だから・・・』と常々言われましたが、その度に心の中で、『自分の為ならしなくていいわ』といつも思っていました(笑)